書評・レビュー: 2008年4月アーカイブ

 2000年前後にP・F・ドラッガーが執筆したり、インタビューに答えた内容がまとめられている一冊。

迫り来る変革を迎える社会を「ネクスト・ソサエティ」と位置づけた上で、大きく「迫り来るネクスト・ソサエティ」「IT社会のゆくえ」「ビジネス・チャンス」「社会か、経済か」の4つのテーマにわけ、各部の中で細かいテーマを設定する形でかかれております。

 第一部の「迫り来るネクスト・ソサエティ」においては、冒頭において、ネクスト・ソサエティを迎えるにあたっての大きな変化を「雇用形態」「市場の変化」「競争社会の高度化」「テクノロジストの台頭」「保護主義の台頭」「グローバル企業のマネジメントの変化」と定義付け、それぞれについての変化を説明しております。

 第二部の「IT社会のゆくえ」では、インターネットによる変化を中世の活版印刷のインパクトと同様のものと位置づけ、変革の方向性や必要とされるリテラシーについて書かれております。

 第三部については、ネクスト・ソサエティにおけるビジネスチャンスをベンチャー企業、人材関連企業、金融業などに焦点をあてる形で記述しており、最後の第四部では、「経済的変化」「社会(体制)的変化」という軸から、ネクス・トソサエティが直面するであろう問題について記述しております。

 個人的に強く関心をもったのは、雇用体系の変化とマネジメントスタイルの変革に関する記述。「管理」と「命令」による20世紀的な管理体制についての限界を唱えつつ、「報酬」と「意欲」を必要とした新しい組織モデルのあり方といった点や、IT社会においてCEOが直面する5つの問題(*1)といった内容が非常に興味深かったです。

*1 コーポレートガバナンスの変容、外部世界に対する理解、命令とパートナーシップからなるリーダーシップへの対応、知識労働者の生産性の向上、組織全体の共同作業における生産性の向上

 その他に参考になるのは、第3部にある企業化精神の4つのワナ。「市場よりも自分を信じる」「キャッシュフローではなく利益を優先する」「マネジメントチームの欠如」「自らの役割の喪失」といった4つのワナは、VCという実務上も、なるほどと思わされる所で、勉強になります。と同時に、自分の知っているベンチャー企業をあてはめてみるとなるほどと思わされます。

 ただ、何より読み終わって思うのは、一番の感想は、ドラッガーの予見力の鋭さ。10年近く前にほとんどが書かれていた本とは思えない程に正確に未来を予見していることに驚くしかない一冊です。

 やわらか戦車自体は知っていたものの、キャラクタービジネスの視点からは考えたことがなかったので、勉強のためにもと思い購入した一冊。

 通常、Webから生まれたキャラクターライセンスビジネスという時点で、「CGMモデルね、時代っぽいよね」と安易なまとめ方をされる一方で、ビジネスとしてはあまり成り立ってなさそうな印象を受けてしまうのですが、本書を読むと、既存のキャラクタービジネスとの間で上手い距離感をとることにより、一定のビジネスの創出に成功したのではという印象を受けました。

 もっとも、純粋なビジネスについては、本書において具体的な「お金」の額が示されていないので、実際どうだったのかといわれると分からない所もありますし、wikipediaの記述を見ると目標としていた10億円という目標に達するのは厳しいという見方があると、ビジネスとしては否定的に書かれていたりします。

 実際、10億円という数字がキャラクタービジネスの規模として大きいかといわれると微妙な所はあるかもしれません。(メインターゲットがキャラクターグッズのインターネットユーザとしては十分に大きいと個人的には思いますが)

 ただ、単純な売上の多寡以上に「個人クリエイターが発信元となるビジネス」「インターネットと既存ビジネスの融合」という2つの点において、十分に価値のあるプロジェクトだったのではないかと感じました。

 インターネットとリアルビジネスの接点を考える上で勉強になる一冊でした。

 舞台「空中ブランコ」を見に東京芸術劇場にいってきました。お金を出してプロの舞台を見るのは初めての体験でしたが、面白かったです。

 空中ブランコの作品自体は、小説の原作の他、映画・TVドラマと見てきたわけですが、本作も面白かったです。まず、伊良部医師と看護士のマユミの組み合わせが宮迫博之&佐藤江梨子という時点で面白くないわけがないのですが、舞台ならではの迫力感や緊張感を含め、非常に楽しめました。

 実際、上記の2人のうち、宮迫さんについては、どこまでが伊良部医師としての演技かわからない位なじんでましたし、(ちなみに終演後のカーテンコールで「宮迫です!」をやってました)、サトエリについては、マユミとしてのサディスティックな演技に加え、クライマックスでの空中ショー等、セクシーさを満喫させてもらいました。(ホントにスタイルがよくてびっくり!)

 作品としては、原作同様、急に空中ブランコに失敗するようになったフライヤーの山下が、伊良部医師に診察をうけにいったらサーカスに興味を持った伊良部がサーカスに押しかけるようになって…という話です。

 原作と比べての一番の違いは、サーカスにおける人間関係を複雑化しているところ。伊良部と空中ブランコのフライヤーである山下のやり取りが多かった原作に比べ、サーカスの団員同士の人間関係に関するやりとりが多くなっているように感じました。そのため、伊良部のやり取りと山下の病気の回復についての因果関係がわからないのではと思われました。これに関しては、映像による演出が限られる舞台というメディアの特性に合わせたための演出かとも思いましたが…個人的には微妙な点でした。

 ただ、そういった点を差し引いても、舞台ならではの迫力を十分に楽しめた楽しい時間でした。と同時に、他の空中ブランコについて改めて観賞し、比較したくなりました。

 

 

 本が好き!から献本でいただいた一冊。現在、大小含めて様々なプロレス団体が存在する中で、10年以上もインディーの先頭を走り、男色ディーノやゴージャス松野、メカマミーといった特異なキャラクターを生み出し、マッスル等の独自の興行路線を走ってきたDDTの立ち上げメンバーにして代表取締役社長の著者による自伝です。

 イベントサークルで数々のイベント成功させてきた時代の話から、DDTを立ち上げるまでの時代、そして立ち上げ後、どのような発想の元、DDTをどのように発展させてきたのかということが書かれております。

 本書を通じて一番感じるのは、エンタテインメントをプロとして提供しようとしている姿勢です。DDTは「全日本プロレス」や「新日本プロレス」といった正統的な団体に所属していたメンバーを母体にして立ち上げられた団代ではありません。加え、本書のタイトルに「文化系」とあるように、必ずしも肉体的にも恵まれたメンバーだけとも限りません。

 だからこそ、映像やストーリーを含め、過去になかったような新しいエンタテインメントを提供しようとし、共有体験を通じた顧客満足を追求します。また、既存のプロレスマスコミに取らわれないPR戦略や、インターネットを活用した情報発信を積極的に実施しています。

 「色物プロレス」的なポジションとして取り上げられることが多く、個人的にも東スポの見出しでしか意識していなかったDDTですが、本書を通じ根底にあるプロ意識に触れることができ、一度見にいきたくなりました。

 予想以上に面白かった一冊です。

 


俺たち文化系プロレス DDT

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書評/ビジネス

 前回のエントリーに引き続き、小説「ハゲタカ」の書評を。今回は、2004年に発表された続編について。

 第一作が90年代後半から2000年代初頭にかけての失われた10年が舞台だったのに対し、本作は2004年前後からのファンド資本主義時代が舞台となっております。

 前作の最後で三葉銀行の闇をリークした後、主人公の鷲津は、一年余り海外を放浪した後に日本に戻ってきます。そこで知ったのは、片腕だった社長のアランの不審死でした。

 後任の社長が引き起こした無知に伴う混乱を収束させつつ、鷲津は弔い合戦のような形でとしてアランが最後に手がけていた鈴紡の買収を決意します。

 一方、経営再建屋として名をはせた芝野はアルコール依存症に陥った妻の治療に専念し、ビジネスの第一線から退いておりましたが、元上司の飯島の手引きにより、CROとして鈴紡の再建を手伝うこととなります。

 そして、それぞれ異なる立場から、彼らは再建の権利を手中にするために活動を行います。ここまでが上巻。

 一方、下巻では総合電機メーカー曙電機について同様に、海外や国家を巻き込みながら再建のための買収劇を繰り広げていきます。

 正直、曙電機についてはスケールが大きくなりすぎており、金融のスキームを駆使するというより、PR戦略を含めた力技勝負になってしまっているのが残念といえば残念な所でした。

 ただ、本作でも登場人物一人一人が個性を持って描かれている上、手に汗握る逆転に次ぐ逆転のストーリーは十二分に楽しめるものでした。

 ゴールデンウィークのような比較的まとまった時間のある時期に前作とまとめて読まれることをオススメします。

 NHKでドラマ化されたドラマの原作。以前から興味があったのですが、上下巻あわせて900ページ近い作品と長いこともあり、時間があるときに一気に読もうととっておいてましたが、4時間くらいかけ、本当に一気に読んでしまいました。

 物語は、最終的な志は近いけれども対照的な二人を中心に進んでいきます。

 一人目は、ニューヨークの投資ファンド、ホライズン=キャピタルに勤める鷲津政彦。凄腕の再建屋として鳴らす彼はハゲタカならぬゴールデンイーグルと呼ばれ、部下や投資銀行のFAと共に、次々と債権の取得や企業の買収を仕掛けます。

 もう一人は、大手都銀の三葉銀行に勤務する芝野健夫。2度のニューヨーク勤務を経たエリート銀行員の彼は日本におけるターンアラウンドマネージャーの必要性を感じながらも、旧態依然とした会社の中で日々を暮らします。

 その二人が、三葉銀行による債権の一括売り(=バルクセール)を通じ、出会います。

 その後は、カットバックの形でお互いのビジネスストーリーが流れつつも、キーとなる場面では不思議と交差していくこととなります。

 特に、バルクセールを通じた債権やり取りが中心だった上巻に対し、企業買収がメインとなってくる下巻がエキサイティングな内容で、比較的話の内容に近い仕事をしている身にとっても興奮させられます。

 その中でも、本作の魅力は2つ。確かな取材に基づくメッセージ性と、登場人物の豊かな個性。

 前者に関していえば、「ハゲタカファンド」と「日本版ターンアラウンドマネージャー」という立場の違いはあれど、「旧態依然とした日本の閉塞感を変えていく必要性」「変革を起こすには信念や志、ストーリーが大切」といったスタンスは両者とも共通しており、また、そのスタンスは小説の世界を超えて共感できるものであるため、読んでいる側を強く引き込ませます。

 また、もう1つの魅力は脇を固める登場人物のキャラクターのよさ。特に個人的には、三葉銀行で芝野の上司となる飯島のキャラクターが非常に気になりました。銀行のPB部門からのたたき上げで、煮ても焼いても食えないキャラクターである彼がいることで、物語の奥行きが深まっていると感じました。

 ちなみに、本作の続編もすでに上下巻で文庫化されており、勢いにまかせ、そちらも既に読んでしまいました。(おそらく昨日、8時間~10時間はハゲタカの世界に身を投じていたのでは…)感想については、別途。

 2003年に発売された森見登美彦のデビュー作。絶望的にもてない京都大学の学生(ただし、自主休学中)である主人公の「私」の現実と妄想の間で悶々と生きていく様子が、独白形式でつづられた小説です。ダ・ヴィンチの文庫本特集で推薦されていたので購入した一冊ですが、 非常によかったです。

 独特の文体もさることながら、主人公とその周辺のメンバーの生き様がいろいろな意味で境界線スレスレなのが非常に面白いです。特にクライマックスの「ええじゃないか騒動」に関する下りはニヤリとさせられます。

 また、舞台が、過去と現代の境界にある京都であること(*)が、スレスレのバランスをうまくとってくれているように思えます。東京ではこうは行かないような気がします。

 * タイトルの「太陽の塔」自身も同様に境界のシンボルとして描かれております。

 まず間違いなく現実離れしている話なんだけど、どこか現実味を感じてしまう、また、大学生活を懐かしく思いつつ、不思議に京都に行きたくなる、そんな一冊です。

 また、一年前に読んだ夜は短し歩けよ乙女も面白かったので、ゴールデンウィークには著者の作品を読むようにしたいと思います。

 仕事がらみのビジネス書を読む中、箸休めのような形で読んだ一冊。陽気なギャングが世界を回すの続編です。今回のメインの物語は銀行強盗ではなく、誘拐された社長令嬢を救い出す話です。

 前作を読んでいないと4人のギャングの特徴は掴みきれない部分がありますし、やはり先日本屋大賞を受賞したゴールデンスランバーのような対策に比べるとストーリーの重厚さには物足りない部分があります。加え、死神の精度やチルドレンといった読後感にも欠けるのも事実。

 ストーリーは小気味よいテンポで進みますし、ストーリーのあちこちに張り巡らされた伏線はやはり上手いんです。ただ、個人的な意見としては伊坂幸太郎にしては物足りないのも事実。

 そういった意味で、「面白いけど、物足りないと思ったら、違う作品も読んでみてくれ。もっと面白いから」といいたくなる一冊です。

 電車の中で読む娯楽小説としては十分満足なんですが、伊坂作品としては満足しきれないというところでしょうか。

 話題のクローバーフィールドを見にいってきました。結論から言えば、続編による「真相」が知りたくなる一作、壮大な前フリ、もしくは1800円を出してみる予告編のような内容です。

 本編は"Cloverfield”というコードネームのビデオテープに収められていたホームビデオ映像を再生される形で演出されており、独特の手ブレや重ね撮りの映像がカットバックされる手法は新鮮。乗り物酔いに似た症状が起きる可能性があるとあちこちで言われていたことも個人的には特に気になりませんでした。

 ストーリーは単純といえば単純。日本に赴任することがきまった主人公の送別パーティーの最中、突然、不気味な爆音が鳴り響き、会場は騒然となります。様子を確認するために屋上に向かった登場人物はそこで変わり果てた街の姿を見ることになります。その後、怪物の存在を認識し、主人公達はマンハッタンから避難しようとします。

 そのような中、パーティーの最中に喧嘩をし帰ってしまっていた主人公の恋人から助けを求める電話が入ります。喧嘩を引き起こすこととなった自らがとった行動を公開させられていた主人公及びその友人達はベスを助けに怪物が暴れるニューヨークの街中に戻っていきます…。

 いくつか根本的なツッコミどころはあるにせよ、真相を知らず逃げ惑う立場からのホームビデオという演出方法は非常に面白いです。また、パニックの中、主人公がどの経路で移動したかを記憶の中のニューヨークの地図と照らし合わせていくのも個人的には楽しめる観賞方法でした。(これはあまり一般的な方法ではないと思いますが)

 とはいえ、やはり、「なぜ、怪物が生まれたのか」「どのようにアメリカ政府が対応したのか」「最終的にどのようになったのか?」といった真相がわからないのが非常に気になる所。そのため、すっきりしない気分で映画館を出ることとなり、続編を待ちわびてしまいます。

 そういった意味で、一つの映画作品として評価するよりも続編を含めた形で評価するのが映画としては正しくて、本作はあくまで壮大な前フリだよなあ、と思わされました。

 いろんな意味で必見の一作でしょう。

 先日DVDで見た秒速5センチメートルのノベライズ版です。映像から小説にという形のまだまだ珍しい形のマルチユースですが、非常に楽しめました。

 映像作品をそのままノベライズしてしまうと映像でしか表せないようなニュアンスが失われてしまうことがあり(逆もよくありますが)本としての出来としてはイマイチということがあると思っています。ただ、本作は元々が主人公が一人称で叙情的に語りかける形式であったこともあると思うのですが、小説単体としても楽しめるのではと思います。

 映像と重なる部分が多いのですが、一番の違いは三篇目の「秒速5センチメートル」。映像では語られなかった高校卒業後から今までの貴樹の人生が描かれております。そして、この描写のおかげで、第一篇の「桜花抄」でヒロインの明里が貴樹に告げた一言の重さが増しました。

 大学生、社会人と成長していくなかでも、貴樹の内にある「居心地の悪さ」やそこから生まれる漠然とした不安感は残り続けます。自分なりに生きているけれども、うまくやれていないのでは中で貴樹は悩み続けます。

 それに対し、カットバックの形、明里が過去に貴樹に宛てて書いた手紙が出てきます。渡すことが出来なかったその手紙には、大人の貴樹が一番必要としていた言葉がかいてありました。

 貴樹くん、あなたはきっと大丈夫。

 あとは実際に読んでみるなり映像をみるなりすることをオススメします。・・・全編を通し、本当に切なくなる物語です。必見です。(映像を見てから小説を見るのがベストだと思いますが)

 一つ残念なのは、ハードカバーで1,365円すること。小説のターゲットとしている層が20代~30代の比較的可処分所得が高い人なのかもしれませんが、やはり中高生が買って読める価格で販売できないのかなあと思ってしまいます。

 朝日新聞に連載されているエッセイのまとめ本もはや6冊目、本作は2006年4月から2007年3月分の内容が収録されています。

 前作の有頂天時代は「映画監督」としての日々だったのが、本作では元々のフィールドである舞台の脚本家としての日々や、役者?として過ごしていた日々に変わっております。

 といっても、基本的な生活は変わっていないようです。それこそ、初エッセイ集である「オンリー・ミー わたしだけを」の時代からもでてきたようなエピソードが出てきます。

 テレビや映画に照れつつもなんだかんだいって出演したり、物忘れがはげしくなっていたり、ちょっとしたイタズラをしかけたりする「等身大の」エピソードを読むと、作品の巧みさとのギャップにニヤリとさせられます。(もっとも、サービス精神で誇張して書いている部分も多分にあるでしょうが)

 三谷エッセイが好きな方には期待を裏切らない一冊です。

 ちなみに、6月には新作映画「ザ・マジックアワーが公開されます。前作の有頂天ホテルが面白かっただけに、こちらも非常に楽しみでたまりません。

 

 一週間後に不慮の事故等で死を迎える対象者についての死を見定める死神が主人公の短編集。主人公の千葉は、クールで事務的で間の抜けた受け答えをするだけども、少し暖かく、そしてミュージックが大好きという変わった死神です。

 事務処理のように淡々と対象者の死を承認するだけの死神だけども、人間界でミュージックを堪能するために時間をかけ対象者を観察します。苦情処理係の電話オペレーター、男気あふれるヤクザ、過去の誘拐犯を探し出そうとするチンピラ、様々な対象者がおり、そこには人それぞれの人生があります。その中で、千葉は基本的に事務的な対応をするのですが、状況に応じ、死神のいたずらともいうべき行動をとったり、思考を働かせたりします。

 結果、各物語は当初想定される内容とは異なる結果を迎えることとなりますが、それぞれ印象深い終わりを迎えます。

 文章全体は千葉の視点で淡々と描かれているのですが、不思議といい気持ちになるのが伊坂幸太郎マジック。

 特に、最後の一篇である「死神対老女」が秀逸。本編では、各短編の登場人物がゆるやかにつながっていたことがわかるのですが、そのことが判明する最後の10ページを読むととても暖かい気持ちにさせられます。

 読み応えのある長編作品もいいのですが、短編小説もやはりすばらしいです。

ちなみに先月より映画化もされておりますが、超映画批評を見ると評価が必ずしも高くないのに加え、伊坂作品はやはり活字がイチバンということで今回は見送りでしょうか・・・?

 2007年秋に出版された日本映画に関する2冊を紹介。2006年に日本映画は約1080億円の興行収入を生み、1985年以来実に21年ぶりに洋画のシェアを超えました。(*1)

 そんな中に出版された上記二冊の本のタイトルは対照的なものであり、それぞれのスタンスの違いもあり比較してみると面白いと思ったわけです。

 *1 2007年は再び洋画が逆転する反面、興行収入10億円以上の作品数に関して言うと日本映画のほうが多い状況。詳細について興味の有る方は社団法人日本映画製作者連盟のHPを参照下さい。)

 結論から言うと、両方の本で書かれている内容の大枠は変わりません。どちらかというと、映画とはどういうものであるべきか、という思いの違いが大きいかと思います。より具体的にいうと、斉藤さんの方が、「職人性・芸術性」といったものを重視しており、大高さんの方が「エンタテインメントビジネス」の視点を重視しているかと思います。

 個人的には、芸術性といったものより、面白くて共感できる映画がいい映画だと思っていることもあり、後者の「日本映画のヒット力」の方が共感できる部分は大きかったですが、映画業界全体の統計やその背景を満遍なく知りたいというのであれば、前者の「日本映画、崩壊」の方がいいのかと思います。

 また、読み比べた中で、個人的に一番興味深かったのは、「日本映画のヒット力」の第四章の「東宝好調の原因は映画調整部にあり」の内容。

 今の東宝の強さの秘訣が、実は30年前の自社の制作能力の弱さがきっかけとなっているということが書かれているのですが、テレビ局との連携といったメディアミックス戦略にばかり目を向けてしまいがちな人間にとっては、業界をしっている人ならではの視点に感嘆させられました。

 その他、今回読み比べてよかった点は、知識を補完しあうことができるという点。

 例えば、「日本映画、崩壊」の方で書かれている「スクリーン数に対し、上映作品数が多くなりすぎている」「一部の大ヒット作品にスクリーンが集中してしまっている」という視点をしっておくことで、「日本映画のヒット力」でエヴァンゲリオンの興行における映画館あたりの興行収入の大きさの意味が深く理解できました。

 同じテーマでこれほど好対照なタイトルはそうはないかもしれませんが、今後の業界理解にも使えそうなノウハウだと強く感じさせられました。

     

Profile

HN:decchy
大手通信会社でエンジニア・営業経験を積んだ後、IT系ベンチャー企業に転職、 営業・企画・PR等を行うマネージャー業務を担当し、 2008年の東京インタラクティブ・アド・アワードに入賞する等の実績を残す。
現在はプライベートエクイティに転職し、投資業務並びに経営支援、新規事業開発支援業務に従事中。

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